亡国の姉妹姫・プロローグ

強大なレグナ帝国の軍勢になすすべなく、エラシア城のある王都の城下町にまで攻め込まれて、すでに1週間が過ぎていた。
王国領内への侵攻が発覚してから、王都まで、わずか3日しかかからなかった。それを最後の防衛線でかろうじて食い止め続けていられるのは、ひとえに王国軍の中で最強と誉れ高い、近衛騎士団の力によるところが大きい。
太陽が沈んで久しく、王都の繁栄を象徴していた煌びやかな明かりがすべて消え失せた今、空には眩いほどの星々が瞬いている。
シルビア「敵の攻撃もだいぶ、落ち着いてきたようだな」
騎士団長「今日の戦はここまで、ということでしょう。なんとかしのぎきれましたな」
王都を東西に貫く大通りを挟んでの、帝国軍と王国軍との一進一退の攻防。
日中は怒号と剣戟の金属音、騎馬の駆け抜ける音、飛び交う魔法弾の衝撃音で騒然となる一帯も、夜になってからは、防衛線背後のエラシア城に向けた大砲の音が散発的に聞こえるだけ。
シルビア「しかし、このままでは戦況が悪化するだけだ」
騎士団長「…はっ」
大陸一の軍事力を誇る帝国相手の籠城戦。備蓄食糧も無尽蔵ではない。いくら耐え続けても、敵があきらめて撤退するとは到底思えない。
城を落とすまで、攻め続けるだろう。置かれた状況は、最悪と言っていい。
シルビア「隊長たちは集まっているか」
騎士団長「隣の会議室に、すでに参集しております」
シルビア「分かった。では、作戦会議を始めよう」
最終防衛線である大通りから5ブロックほど奥に入ったところにある、石造りの大きな商館に、近衛騎士団は本陣を構えていた。
シルビア「騎士団の皆、今日もよく戦い抜いてくれた」
金色の糸で縁取られた青い衣の王族用特製軍服の上から、甲冑をまとったシルビア。
会議室で上座に座るとまず、部下たちを労った。
騎士団長「はっ、ありがたきお言葉、光栄に存じます」
近衛騎士団、各隊の隊長、副隊長ら集まったのは十数人。見回せばどの顔もみな、疲労困憊。やつれ、疲れ切っている。
顔に、腕に、包帯を巻いた者も多い。
その中で、一人の若い騎士の顔を見つけて、シルビアは内心ほっとした。
(無事でよかった…)
そんな想いはおくびにも顔に出さず、言葉を続ける。
シルビア「諸君らは王国の最後の砦。誠に心強い」
昨日の作戦会議にはいたはずの、数人の士官が欠けている。
シルビア「各隊の戦況報告を聞こう」
凛としたきれいな声が、会議室の石壁に響く。
(また、戦死者が増えたか…)
心を抉られるような痛みを懸命にこらえ、平静を装う。
帝国軍はここ数日、正々堂々、騎士と騎士とが剣を交わすような騎士道精神を尊重した戦い方は一切無視。巨大な斧や棍棒を振りかざす亜人種のゴブリンを前面に、力押しに押す戦術をとっていた。
王国最強の近衛騎士団とて相当の戦力を、この1週間で喪失した。一般兵の部隊なら、とうに敗走していただろう。
こうして士気を保ち、なんとか戦線を維持していられるのもひとえに、王女であるシルビアが自ら最前線に立ち、ともに戦い、騎士たちを鼓舞しているからにほかならなかった。
騎士団長「…以上、各隊とも敵軍を打ち破り、後退させました」
シルビアが弱気な表情など見せる訳にはいかない。騎士団の戦意にかかわる。
シルビア「ご苦労であった」
騎士団長「シルビア様、いかがいたしましょう」
シルビアは精神的な支柱であって、実際の作戦は騎士団長以下、各隊長が協議して決める。昨日までと同様、「諸君らの意見を」と答えれば、作戦会議が始まるはずだった。
しかし―。
シルビア「明朝、0400。われを含む数人の特別隊を編成して敵陣に潜入。敵の指揮所に奇襲をかける。志願する者はいないか?」
シルビアの思いも寄らぬ言葉に、部下たちは言葉を失った。沈黙が会議室を包み、誰一人、微動だにしない。
シルビア「どうした? 勇敢なわが騎士団の諸君、ともに剣を取り、この戦況を切り開こうという気概のある者はおらんのか」
騎士団長「恐れながら、シルビア王女殿下」
シルビア「なんだ」
騎士団長「1番隊の副隊長以下、精鋭を護衛につけます。今宵のうちに城へ戻って準備を整え、同盟国へ援軍要請に赴いてはいただけないでしょうか?」
1番隊副隊長とは、シルビアの幼馴染みで、恋人のことだ。
シルビア「…われに、逃げろ、と申すのか」
男勝りで気が強いが、思いやり深く冷静なシルビア。その声が、怒りに震えていた。
騎士団長「否。ここは我らが守り抜きます故、シルビア様には同盟国の軍勢とともに馳せ参じていただきたく」
この期に及んで間に合うはずなどないことは、火を見るより明らか。恐らく、シルビアが無事に同盟国へたどり着けたとして、そのときには王国は存在していないだろう。
シルビア「黙れ!」
騎士団長「黙りませぬっ!」
騎士団長の気迫に押され、シルビアが言葉を詰まらせた。
騎士団長「国王陛下が病に伏して動けぬとき、シルビア様に万が一のことがあったら、いったい誰が王国を担っていかれるのですか!」
シルビア「プリシラがいるであろう!」
騎士団長「プリシラ様はまだ幼く、王国を継げる歳ではありませぬ」
シルビア「詭弁だ! 出過ぎたことを言うな!」
騎士団長「シルビア様! 王国再興のため、いますぐ同盟国へ出立を」
シルビア「われは絶対に逃げぬ!」
騎士団長「これは、近衛騎士団の総意であります」
居並ぶ騎士団幹部たちが、同意の眼差しを、強い視線を、シルビアに向けている。
シルビア「民を、兵を、そなたたちを見捨てて逃げることなど、絶対にできぬ!」
作戦会議はその後…。
騎士団員「いま、シルビア様を失う訳にはいかないのです」
シルビア「絶対にここを動かぬ」
騎士団長「生きて、王国のために力を尽くすのも、王女たるシルビア様のお役目」
押し問答の末、敵陣に潜入する特別隊はシルビア抜きで編成。代わりにシルビアは、戦況が変化するまでもうしばらく、この本陣に残ることになった。
シルビア「…明朝の作戦開始まで、少しでも兵を休ませろ」
こうして作戦会議は散会となり、シルビアは商館の一室に設けた自室に戻った。
コンコン…。
シルビアは窓からじっと、暗闇に包まれた城下町を見詰めていた。
コンコン…。
見る限り人の気配はまったくなく、廃虚となった街並みのシルエットがぼんやりと、月明かりに浮かんでいる。
シルビア「誰?」
パスティーユ「僕です、パスティーユです」
シルビア「…入れ」
遠くで大砲が着弾し、窓ガラスがカタカタ、小さく揺れた。
シルビア「こんな時間に何ごとだ?」
パスティーユ「きっと眠れないだろうと思ってね」
ぶどう酒の瓶とコップを手に、シルビアの恋人、近衛騎士団1番隊副隊長が部屋に入ってきた。
シルビア「まったく、パスティーユはいつも…」
シルビアは窓の方を向いたまま、振り向かない。
パスティーユ「…泣いてるのか」
シルビア「ばか者」
パスティーユは質素なテーブルに酒瓶とコップを置くと、シルビアを後ろからそっと、優しく包み込むように、抱き締めた。


シルビア「そなたはいつも、そばにいてほしいときに、いてくれるのだな」
パスティーユ「そう言ってもらえると、嬉しいよ」
国王が病に伏して久しく、王政の決め事は、まだ20歳を過ぎたばかりのシルビアが最終的に判断してきた。そこへさらに、帝国との戦争。
腕の中で、シルビアが俯いたままで身体の向きを変えた。
王国の、民の行く末を思えば、シルビアの双肩に掛かる重圧は相当だ。しかし、王女である以上、その辛さを漏らすことは、弱さをさらけだすことは、できない。
シルビアは恋人の背中に腕を回し、密着するように身を寄せる。
幼馴染みであり恋人のパスティーユだけが唯一、シルビアにとって心を許せる相手だった。
ともに無言の時間がしばらく続く。
パスティーユもただ黙って、声を殺して泣いてるシルビアの細く、折れてしまいそうなほど華奢な身体を抱き締め続ける。
シルビア「…不甲斐ない」
パスティーユ「シルビア?」
シルビア「不甲斐ないのだ。われの力が及ばぬばかりに、国を、民を、このような目に遭わせてしまった…」
戦況は最悪だ。誰の目にも、誰も口にしないだけで、敗色は濃厚といえる。
パスティーユ「そんな風に自分を責めてはいけない。決して、シルビア一人のせいではない。これは王国全体の問題なんだから…」
シルビア「でも…」
今まさに瓦解しようとしている国の王族の心境など、パスティーユには推し量れない。抱く腕に、力を込めた。
それしか、できなかった。
パスティーユ「シルビアは決して、一人じゃない。僕がいる。騎士団の仲間がいる。みな、シルビアがいるから、戦っていられるんだ」
シルビア「…ありがとう」
パスティーユ「ともかく、今は少しでも身体を休めた方がいい。シルビアが倒れるようなことがあったら、騎士団の士気にかかわる」
パスティーユは、ベッドにシルビアを腰掛けさせると、ぶどう酒を注いだコップを手渡した。
シルビア「パスティーユ…」
シルビアは恋人の名を呼び、顔を上げると、泣き腫らした目を閉じた。
シルビア「んっ…」
艶やかで麗しい唇に、パスティーユが唇を重ねた。
戦の合間のささやかな逢瀬。シルビアにとっては大切な心の拠り所。
窓から差し込む月光が、口づけを交わす二人の姿を照らしていた。
パスティーユ「おやすみ、シルビア」
シルビアがぐっすりと寝入ったのを見計らって、パスティーユが部屋の木戸をそっと開けた。
部下の騎士たちが入ってきて、王女の身の回りの品を運び出す。
パスティーユ「失礼のないように、慎重にお運びしろ」
騎士「はっ」
屈強な騎士に抱きかかえられても、シルビアは目を覚ますことがない。
ぶどう酒に混ぜた眠り薬の効果は的面だった。
これ以上、最終防衛戦を守り続けることは不可能。たとえ落城しても、シルビアさえ生きていれば王国の再興は成る。
そう判断した騎士団幹部による独断での王女脱出作戦。
パスティーユに与えられた任務はシルビアを薬で眠らせ、少数の護衛と一緒に隣国の同盟国へ逃げのびることだった。
………
……

あと一日早く、その作戦が行われていれば、王国の歴史は変わっていたかもしれない。
………
……

王国近衛騎士団が本陣を置く、旧商館の正門前。
立ち番の騎士が時間になっても交代がやってこないことを不審に思い、詰め所に戻った。
騎士「なっ!? これはいったい?」
待機していた騎士たちが、血だるまになって倒れ伏していた。
『敵襲!』
そう叫んだつもりが、出てきたのは『ヒュー』をいう息が漏れる音。
喉元をかき切られた騎士が、膝から崩れ落ちた。
全身黒ずくめで短剣を手にした男のもとへ、同じ黒ずくめ格好で血塗られた短剣を手にした別の男が、音もなく駆け寄ってきた。
帝国軍隠密部隊。
視線を交差させて頷き、商館周囲の見張りをすべて制圧したことを確認し合う。
魔法の力で気配を消した隠密部隊の兵士たちが、路地裏から、崩れた建物の影から、次々と集まってきた。
日中はゴブリンを先陣に目立たせた戦いを数日続け、帝国軍の攻撃は正面からの力押し一辺倒だという先入観を与えながら、深夜、暗闇にまぎれて精鋭の隠密部隊を投入。敵の本拠へと奇襲を掛ける。
戦い慣れした帝国軍の方が、一枚も二枚も、上手だった。
商館の高い塀に、次々と縄ばしごが掛けられていく。
………
……

本陣を襲われた上、シルビアを囚われてしまった王国軍は総崩れとなった。
帝国軍はここぞとばかりに一気呵成に攻め上がり、わずか1日でエラシア城の国王謁見の間まで占拠。王国占領を宣言した。
(亡国の姉妹姫・本編に続く)